オードリー若林さんの「ナナメの夕暮れ」を読みました。
若林さんの最初の作品である「人見知り大学社会人学部卒業見込み」が以前から気になっていたのですが、それを読んでから若林さんの文才と考えに魅了されて、すぐに「ナナメの夕暮れ」も買いました。(今はキューバへの旅行記である「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」も気になっています。。。)
すいません、経緯とかどうでも良いですね。
感想に入ります。
「ナナメの夕暮れ」のあらすじ(テーマ)※ネタバレ注意
「ナナメの夕暮れ」はエッセイ集というかコラム集です。
なので、それぞれの項目が一貫して整合性を取っているわけではありません。
しかし、あらすじというかテーマのようなものを抜き出すのであれば、以下だと考えています。
- 強者の論理とパーソナリティについて
- ベクトルの向き
まずひとつ目の強者の論理とパーソナリティについて。
自己啓発本でよく描かれているような、強者の論理。
これに対しての違和感が若林さんの中でずっとあるんだろうなあというのを感じました。
つまり、「おれは成功者だ。お前は成功者ではない。だから、お前のあり方(パーソナリティ)は間違っている。改めよ。」みたいなロジックですね。
この乱暴な押しつけに対する違和感を若林さんは売れる前から感じていたし、売れた今も感じているのでしょう。
一方で、自分に向きすぎたベクトルがいろいろと齟齬をもたらすことについても触れてあります。
誰も気にしていないのに「若林のくせに」といった具合に周囲の目を気にしてしまう、とかが齟齬の一つですね。
若林さんは、こうした自意識過剰による自分の行動の制限は、他者への批判と表裏一体であるとも言っています。
「あんな薄っぺらいことして、しょーもない奴らだ」
こんな批評家的な振る舞いと、それに伴う他者とその行為の価値下げは、自分の行動を制限するという形になって自らの身に降り掛かってくるというわけです。
と、あまりまとまってませんが、ナナメの夕暮れに一貫しているのは、
- 強者の論理とパーソナリティについて
- ベクトルの向き
などだと思っていますよ〜って話でした。
「ナナメの夕暮れ」の感想
「ナナメの夕暮れ」めちゃめちゃ良かったです。
比較的似ている点が多いなあと感じていた若林さんがどうやって自分のあり方と世界(世間・世の中)との向き合い方を知ったのかについて書かれている点がとても良かったです。
エッセイ的なところも良かったです。
あとは文体も個人的にはすごく好きです。
やっぱり考え方が近いんだろうなあと勝手に感じています。
- 自分の思う正しさを追求したい
- もっと楽しく生きたい
自分の思う正しさを追求したいってのは、たぶん若さなんだろうなって思いました。
自分はまだ自分の思う正しさを追求したいって思ってます。
でも、「おじさん」の若林さんは、めちゃめちゃ正しさを追求することにはもう疲れちゃったんだろうなって思います。
そして、別にそれは若林さんにとってネガティブなインパクトばかりではなく、世界との折り合いをつけられるようになり、何だか楽しく生きられるような効果ももたらしているんだと思います。
もっと楽しく生きられるように、自分に向きがちなベクトルを自分が嫌じゃない範囲で他者にベクトルを向けるっていう、いわば当たり前なことですが、親近感を抱いている身としては何だか強い指針になりそうだなって感じています。