クメール・ルージュについてのNetflixの作品「最初に父が殺された」。
唸りました。
アンジェリーナ・ジョリーが監督だったんですね、これ。
この中で、クメール・ルージュの構成員?兵士?が「オンカーに尽くせ」的なことを連呼してました。
ほんで、寡聞にも、オンカーを知らなかった僕は「クメール・ルージュ オンカー」とぐぐってみました。
すると、オンカーというのは「組織」を意味する言葉であることが分かりました。
なるほど。
「組織のために」「組織のために」って繰り返してたんですね。
戦時中の日本もあんな感じだったのかな?と感じました。
自由社会・競争社会が行き過ぎると、貧富の差が拡大します。
ほんで、「貧富の差」という言葉自体には、ネガティブなイメージがくっついています。
ですので、「貧富の差」という言葉とともに自由主義(新自由主義)や資本主義が語られる場合、それらはネガティブな印象を持ちます。
僕は昔、白か黒かでした世界を分断できませんでした。
なので、世の中の「格差」、特に、スタート地点での格差についての文書だったり映像だったりを見るにつけて、「原始的な社会の方が良かったんじゃないかなあ」なんて感じていました。
でも、クメール・ルージュが目指した原始共産制は理想に過ぎませんでしたね。
そもそも、格差がない社会を理想化し、それを押し付ける人間たちと、それを押し付けられる人間たちとで「違い」が存在しているわけで、結局、格差がない社会なんてないですもんね。
古代ローマとかも奴隷制が前提で成り立っていただろうし…。
「最初に父が殺された」では、
- 平等な社会を目指すクメール・ルージュ
- クメール・ルージュ(兵士たち)と、僧侶・労働者・少数民族
などとの間の格差を示唆的に表現されていたように感じます。
「最初に父が殺された」を見た後に、クメール・ルージュについて調べていたのですが、クメール・ルージュの幹部の人たちって決して貧困層出身の人たちが主ではなかったようですね。
むしろ、良い家柄というか、しっかりと教育を受けた人たちだったみたいです。
そんな彼らが、本気で「みんなのため」を考え、行動を起こした結果が、人口の4分の1もの人が亡くなるような悲惨な歴史を生んだんですよね。。。(まあ、「みんなのため」の手段としての原始共産制がダメだったかさえも分からないほどの混乱だったみたいですね。)
うーん。
難しいですね。
やはり、この世は理想と現実とで折り合いを付けながら、漸進的に変革を進めていくのが最善なんですかね…?
AI時代が「すばらしい新世界」にならないことを祈っています…。
P.S.
それにしても「最初に父が殺された」の主役の女の子、演技がめちゃくちゃうまいなあ。
表情とかすげぇ。
そうだよね。そういう顔をしちゃうような場面だよね。
みたいにすんごい共感しながら見られた。
P.P.S.
アンジェリーナ・ジョリーって、監督の才能のあるんだ。
すげぇ。